チャリダーアキの自転車世界旅行 -29ページ目

灼熱地獄!キンバリー強行突破!!

起きる 食べる ネット ビール飲む ネット 寝る
起きる 食べる ネット ビール飲む ネット 寝る
起きる 食べる ネット ビール飲む ネット 寝る







やたらとビールが美味い今日この頃

なんとも気楽な日常のルーチンにどっぷりと浸かり

気が付けばメルボルンにて沈没体勢




走らないチャリダーはチャリダーにあらず

こんばんは駄目人間 チャリダーアキです。










メルボルンの友人宅でダラダラの日常に埋没していると

厳しかった頃のことが思い出される・・・・・・


























キンバリー




















そこは想像を絶する灼熱地獄

春の初めだったというのに

日中の気温は軽く40℃(時には45℃)を超えていた。







何日走っても雲一つ無い空

時には一日中日陰無し

そして強風向かい風

もたもたすれば夏が来る

休むことも許されない孤独な自転車旅行だった・・・・・













朝4時 





起床 





まだ寒い  





星を眺めながら暑いコーヒーを飲み                   






シリアルの朝食を済ませる





5時 





出発 





やや寒い  





頭もすっきり 





体もしゃっきり!  





6時   






快適    





朝日が美しい!






7時    






快適    





この時間帯に距離をかせぐのだ!   





8時    





やや暑い  






それでも走る!それがチャリダー。






9時    





30℃を超える  






30℃ならまだ大丈夫!






いけいけチャリダー!





10時    






35℃     






暑っつー!






11時   






そろそろ40℃  

















水も暑っつー!











日陰がねぇ~!!




































何も考えられなくなってきます。  














12時   







40℃超え       









































もうむり








































意識がだんだんと遠くへ  





























1時   





45℃  
































溶ける~!!!










































発狂します




























みなさんもオーストラリア北部の暑さには気を付けて下さい。

僕の場合、サイクリング中に最低でも5リットル、一日に10リットルの水を飲んで

ました。

自転車に積み込む水の量は15リットル近く半端じゃない重さです。

この頃は11時にはなんとか日陰を見つけて15時過ぎるまでは休憩していました。

一本の木の陰に小さくなって座りながら、影が動くのにあわせて移動して暑さを

凌ぐことも多々ありました。

何かあった場合フライングドクターに助けられればまだ良しとして 真夏は普通

に死んでしまうと思います。




そろそろメルボルンを出発します。
次の記事はシドニーからかな。

恐怖!殺人蟻!!

皆さんお正月はいかがお過ごしになれたのでしょうか?

おいしい御節料理はご馳走になられましたか?

こちらは相変わらず食うや食わずの自転車旅行が続き

身長182センチ、体重60キロ以下のマッチ棒。

こんばんは、チャリダーアキです。






オーストラリアそれはとても恐ろしい国。



「蝿(ハエ)」の国オーストラリア。

「風の国」オーストラリア。

そして「蟻(アリ)」の国オーストラリア。








今日は、そんな「蟻の国」オーストラリアの思い出を皆さんにお話したいと思

います。







春の初め、ぼくはノーザンテリトリーにある小さな町、キャサリンに滞在して

いた。

そこにはココスバックパッカーズという小さな安宿がある。

チャリダーにはチャリダー割引の値段で泊めてくれる、世界でも非常に珍しい

安宿だ。

その日僕はスーパーで大量の食料を買い込んで、テントに置いていた。






数時間後・・・ 












テントの中






蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻食料食料食料食料蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻食料食料食料食料蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻食料食料食料食料蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻食料食料食料食料蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻
蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻



















































「ぎゃ~!!!!!!」















いまさら言うまでもないが、この辺りで一番強い生物は















































だ。

























やつらのチームワークは、

4メートルを超える山のような蟻塚をつくる。

やつらの顎(あご)は、

テントを食い破り侵入してくる。

やつらは鬼畜のように

買ったばかりの米の袋を食い破って入ってくる。





そしてやつらは・・・・





人間を


















































殺る 気で襲ってくる。





























深夜、テントで寝ていると 奴らは音もなく僕に群がってくる。

「いってぇー!」 と叫んで飛び上がる。

やつらは体中をかみつきまくる。




































やつらは マジだ!



















なんどもなんども、殺されかけた。


こうして生きて自転車旅行を続けているのが不思議だ。


みなさんもオーストラリア北部でテント生活をするときは

蟻に殺られないようにくれぐれも気を付けて下さい。

X'mas 地獄のタスマニア

12月24日。


世の中はクリスマスイブだと言うのに、僕は




フェリィーの中で一日中読書。






クリスマスはキャンプ場でまったり。

翌日出発。

その日の夕方、キャンプ場にチェックインしようとしたとき、

見覚えのある顔が






鯛天君だ!!!






ケアンズからエアーズロックまでの50日間一緒に走った親友との再会だった。

彼の横にもう一人、坊主頭の男性が立っていた。

鯛天君と一緒に旅をしている その男に近づいて話しかけてみた、、、、。






ん???















女??














(まじかよ!!!)







初めて出会った日本人女性チャリダー。けいこちゃん。

噂は聞いていたけど、まさか会えるとは思ってもみなかった。



その後、二日間ほど三人で一緒に走った。経験豊富な僕がしっかりと二人をリ-ド 





のはずが・・・・







しかし・・・・・








二人に全くついていけない。




虚弱体質な僕でした。






とほほ




それから数日後



ポートアーサーのキャンプ場で疲れきって熟睡していると深夜に







「ハッピー!ニューイヤー!!」









 

のバカ騒ぎに起こされる。








(知らんよ。     眠らしてくれ。       おやすみ。)






正月も朝から走る。

それがチャリダーの宿命



二日 朝から雨・・・・




(ついてねぇーなぁー)




時々 雹(ひょう)・・・・




(マジで痛いんですけど・・・)




豪雨・・・・・




(荷物ずぶ濡れッスか・・・)




日中なのに気温が7度。




(真夏のはずなんですけど・・・・)




登り




(頑張れチャリダーアキ!!)




更に登り、




(うわっ!きつ!!)




まだ登り、




(あー!歩くさ!どうせオイラは虚弱だよ!だからどうした!!)




ひたすら登り












(殺してくれー!!!)







翌日

豪雨 登り 時々雹 登り 登り 登り



その翌日 

登り 登り 雹 登り 登り 登り 雨 登り 登り 寒 登り 登り



その翌日

登り 雨 登り 登り 登り 登り 登り 雨 登り 登り 登り 登り 
登り 登り 雹 登り 登り 登り



そのまた翌日

登り 登り 登り 寒 登り 雨 登り 登り 登り 登り 登り 雨 
登り 登り 登り 雹 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 
登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 登り 
登り 登り 登り 登り 登り 雨 登り 登り













(うわーー
ーーー!!!!!!!)













クレイドルマウンテン登頂。  


タスマニア一周終了。


さらば ・・・ タスマニア。


(ここにも、もう二度と来ん!!)






タスマニアは体力の無い自転車乗りにとっては地獄です。みなさん、充分注意して下さい。

コアラは悪魔?

さて、こちらは13日にアデレード出発。その日、出発してすぐの山道で自転車を押

して歩いていると、野生の豚が何やらえさにガッついている鳴き声が聞こえる。

(こんなところに豚?)

そう思いながら鳴き声のする方向に近づくと、なぜだか声は高い位置から聞こえてく

ることに気付く?




(ん?なんでだ?)




そう思いながら目線を声の聞こえる上方に移す。

















(んぁーー!!)









そこには、なんと!
















野生のコアラが!











やっと見ることができた野生のコアラ。感動したー!。

それにしても凄い鳴き声だった。

一言で表現するならあの声は・・・・・・・・




















「悪魔」







だね。

 20日に日本に帰る友人に会うためにアデレード、メルボルン間は有名なグレート

オーシャンロードを通らずに、際短距離を走った。

その甲斐あり、18日の夜にメルボルン到着。

今は友達の友達のシェアハウスに居候。

久々のアーバンライフを送っております。



 追伸、、。

 今日、マックで日記を書いたり本を読んだりとタラタラしているとヘルメットが無

くなっていた。

バイトのお姉さんたちも知らないという。

なんてこった!



駄目駄目のアキでした。

地獄のナラボー横断!!!

2004/11/10(金)

 ナラボー。何がきつかったかって、西の町ノースマンを出発してから、東の町セ

ドゥナまでの1200キロ間、









スーパーマーケット無し!








 そして台風並みの向かい風がひたすら吹きつづけ、時にストームに










テントを吹き飛ばされる。







晴れた日には、一日中日陰の無い世界を走るしかない。

自転車は大量の食料の為にやたらと重い。














なーんて、






不平不満を言おうと思えばこのくらいでしょうか。

実際には、楽しかった!!

エスペランスの手前で知り合ったオランダ人リオンとぬきつぬかれつの自転車旅行。

ほぼ、毎日、道路で顔を合わせながらのノロノロ旅(強風の為)。

ナラボー1200キロで一回しかシャワーを浴びてないが、そんなことは気にもならない

ほどに楽しかった!





でも、何があっても、

















死んでも二度とナラボーは走らん。









































絶対に走らん!!!




 ポートオーガスタを出て45キロ程走った所で反対車線の路肩から

「アキさん!」

と名前で呼ばれて驚き振り返る。




紛れも無い、









間違え様も無い、












あのリアカーは・・・




















フミさん!!!!






まさかもう一度会うとは思っても見なかった。

僕の計算ではフミさんはまだスチュワートHWYを歩いているはづだった。

もう会うことは無いと思い、エスペランスを出てから一度もメールのチェックをしてなかった。




本当にぶったまげた!



 その日、近くのキャンプ場で一泊し、翌日はフミさんと一緒に25キロ歩いた。

ちなみにフミさんはリアカーを押しながら













時速6キロ以上





で歩く。

僕のサイクリングコンピュターは常に6キロから6.2キロを示していた。

自転車を押してついて歩くのは、意外とキツイ。

その夜も、前日同様にお互いの旅の話で盛り上がる。

フミさんのオーストラリアの旅もいよいよ終わりが近づいている。

今度はいったいどの国を歩くのか本当に楽しみだ!!






 おいらは本日アデレードに到着。

24日にタスマニアに渡るチケットを購入した。

おいらの旅も終わりが近い。

ここまで頑張って走った自分へのクリスマスプレゼントのつもりで往復300ドルのチ

ケットを買ってみた。

あとは、この国で一番高い山に登り、シドニーに向かうだけだ。

いよいよ終わりが見えてきた!!

その名はハットリバー

11月4日(木)

 ブルームを出発してからというもの、途中一日しか休みをとらずに向かい風の中を

走りに走り続け31日にパースに到着しました。

それでも途中でコーラルベイやシャークベイなどの観光地にも行って来ました。

 そして、今回の西海岸縦断中でもっとも楽しかったのは・・・・










ハットリバー王国。




一号線を南に向かって走っていると、ハットリバーへの小さな道路標識がある。

その道へ入り15キロのふざけたアップダウンのきつい道を進む。

その後20キロダート道へ突っ込むとそこには、その小さな独立王国がある。

ハットリバーに入り、

「キャンプ場にとまれますか?」

と、そこにいた男に尋ねる。

「今、中で飯食ってるから、その辺にテントでも張ってゆっくりしてな。」

訛りのきついオーストラリア弁で男が答える。

僕は言われたとうりにテントを張る。

しばらくすると、一人のおばあさんが現れる

。そして僕を郵便局に連れて行く。

「パスポートに入国スタンプは押す?」

「はい。お願いします。」

僕は恐る恐るパスポートを出す。






‘ガチャン’











(押しやがった~!!本気だ!)









「明日の朝早くに出るなら、出国スタンプも押しておくけどどうする?」

「はい、お願いします。」









‘ガチャン’















(押しやがった!パスポートをそんないいかげんに扱っても良いのか~!!)



















そして、ハットリバーについての説明をしてくれる。

僕は郵便局で絵葉書と切手を買い、二人の友人に出してみることにした。

本当にこの国の切手でこの国のポストに入れたものが、日本の友人宅に届くのか楽し

みだ。

それからお土産屋で色々と買い物をする。

お土産用に購入した切手の写真の女性がなんとなく、僕の前にいるおばあちゃんにに

ている。


「ひょっとしてあなたは・・・・・・」














































「私がプリンセスシャーリーです。」

























































(どっひゃ~!!!!!)












































おばあちゃんがそう答えた。

時には郵便局員、時にはお土産屋の店員として、僕にハットリバーをガイドしてくれ

た女性こそ、プリンセス シャーリーその人だったのだ。

残念ながら国王様はメルボルンに行っており、御拝謁することはできませんでした。

僕が想像するに、反骨心のある、知的で行動的な立派なおじいさんか、もしくは、

よっぽどイカレた田舎者じいさんかのどちらかだと思う。

そんなこんなで、ここは今回のたびで最も印象的な場所になりました。

どうやら、



































本当に独立国のようです。




























 今週末にパースを出発して、来月上旬アデレードを目指します。

あと少しで一周!しかし最後の大関門ナラボー平原越えが待っている。

風向きはどっちだ!!!

別格だねぇ。

2004/08/28 (土)
 一昨日、歩き人フミさんとアウトドアショップを回ってテントを見て回りました。

カナダチャリンコ横断時代から使っているテントがいよいよ寿命で死んでしまいそう

なのです。

ファスナーが閉まらないのです。

明け方には氷点下近くまで温度のさがるここでは死活問題です。

加えて、ぼろぼろの体には足が伸ばせないテントはきついのです。

僕と同じテントは25ドルで売っているけど、さすがに同じ物を買うつもりはありま

せん。

 昨日はお金をおろして159ドルする二人用テントを購入しました。

店の兄さんとしばらく話しこんでいるなかで、こんな具合になりました。

「自転車で周ってんのか!すげーなぁ!」

「別にすごくは無いでしょう。」

「昨日の友達も一緒か?」

「いや、一人だよ、彼は歩いていろんな国を旅してるんだ。」

「冗談でしよ?」

「いや、ほんとだよ」

この後、兄さんは新聞社に電話させてくれと言ってきたので、僕はフミさんに一言

断ってからにしておくれと言って、宿に帰りました。




 そして本日、僕たちの泊まっている宿にローカルの新聞社が取材にきました。

大勢の旅行者がリラックスしている宿の中庭をリアカーを押しながら歩くフミさんの

姿は





































































まさしく異様




















































みんなが目を丸くして、何事が始まったのかと注目を始めるのは当然のこと。

そのままリアカーを押して外まで歩いていったフミさんは、今度は取材の方とカフェ

までお茶を飲みに行きました。

そして、何が結局言いたいかと言えば、リアカーを押して宿の中に置いておいてくれ

と頼まれたのです。

街中でリアカーを押せば注目の的になるのは必然なわけです。

なんともいえない、二度と経験できないような貴重な体験をさせていただきました。

ちなみにちょっとした段差を登るのが、結構大変な作業でした。
 

エアーズローック!!!

2004/08/26 (木)
 アリススプリングスを西に向かって出発したのがそもそも地獄の始まりだった。

未舗装道路が始まる直前にあるお店は食パンを売ってくれないし、水2リットルが

5ドル以上という

ボッタクリ。

便所の水を7リットル積み込んで、地獄に突入!!

道は見たこともないようなごつごつした石ころでできた<FONT size=3>石地獄

</FONT >
と、どこにも逃げ場のない砂地獄へとかわった。

愛車「ビグザム」の27インチタイヤではどうすることもできずに、一日で








15回転倒。













スピードが時速10キロくらいしか出せない為に、幸いにも怪我はなかった。

休みたくても日陰はどこにも無い、自転車をたてかけるものもない。

野宿2連泊で地獄を抜けなければ水がもたない。

その日は夕方6時まで走りつづけてわずか80キロしか進めなかった。

ボロボロになって野宿。




 翌日もひたすら道とは呼べない道をはしり続けるのみ、しかしながら









過去最高のハエ地獄









常に顔には10匹以上のハエがとまっているが、道が悪すぎてハンドルから手が離せな

い。

というか、ハエを払う気力もエネルギーも僕には無かった。

相方の鯛天君の背中には



















30匹以上












のハエがとまっている。

昼過ぎからは、台風なみの強風で前に自転車が進まない。

どうしようもなくなり野宿。
 








 3日目にポリスに止められた!









(しまった!!)











直感でそう思った。

この道の通過許可証をもってなかったのだ。

僕はどこかにゲートがあって、そこで許可証をもらえるものとばかり思っていたが、

実は事前に警察に連絡してとっておかなければならなかったのだ。

先を走る相方がポリスに止められ、なにやら話し込んでいる。

が、どうやら助かったようだ。

僕が止まったときにはポリスは笑って車に乗り込んでいった。

理由は知らんがとにかく助かった。

その日の夕方目的地のキングスキャニオンに到着。

背中も足もタイヤもボロボロ

水はぎりぎりでたどり着けた。
 



 翌日からなつかしの舗装道路をかっ飛ばしてエアーズロックへ向かう。

エアーズはもちろん甚平を着て登り、頂上に日の丸を立てて記念撮影。

感無量だった。

最近ではアボリジニー(原住民)に配慮して、エアーズに登らない人もたくさんいる

が、僕は登った。












シドニーから実に60日間自転車を漕ぎ続けてここまで来たのだ。



























































「俺にはエアーズに登る権利はある!!!」



















































という自分勝手な信じ込みのため、後ろめたい気持ちは無かった。




 エアーズから再びアリススプリングスに帰る道は、舗装道路を選んだ。

途中で59歳の日本人チャリダーとばったり遭遇。

退職前の有給休暇でオーストラリア縦断中とのことだった。

そしてアリスではなんと21歳のチャリダーと出会う。

どうにもこうにも自転車乗りには極端なやつが多い。

 そしてアリスの安宿で、歩き人フミさんと再会!

旅を続けていると分かることなのだが、会うべき人には会うべきして必然的に会う。

今回のフミさんとの再会もそのたぐいだ。

ついでに、たまたま見た新聞の一面にロスとアンが載っていて驚いた。

あいつらけっこう有名人らしい。

この冬、砂漠は奇人変人大集合!

2004/08/07 (土)  
 ケアンズからいったん南へ向かいタウンズビルへ。

その間、ノーム(61歳)とまたまたまた再開。

そこで二人の連れのうち松崎さんが抜け、鯛天(たいてん)くんと二人で砂漠に向か

う。

 まず、始めに砂漠ですれ違ったのは、一人でオーストラリアを一周しているベルギー人のヒロ、66歳。
 





もう一回言う。66歳だ。
 






彼は常に8リットルの水を自転車に積んで向かい風の中、砂漠を抜けてきた。そのヒ

ロがのっぴきならない事を言った。




「日本人の男がスチュワート ハ

イウェイを歩いている。ダーウィンから

アデレードまで砂漠を縦に貫くあの道をリアカーを押しながら歩いていた。」








 次に会ったのは世界中を一人で自転車旅行しているフランス人女性のドナ。








 もう一回言う。女性だ。 
 







彼女と一緒に野宿しながらいろんな話を聞かせてもらう。

ヨーロッパはまだ良いとして、インド(ボンベイからデリー、カルカッタ間)やベト

ナム、カンボジア、タイ、マレー、インドネシアって普通ではない。

翌朝、記念写真を撮ろうといったら、



まだ化粧をしてないからダメだと丁寧に断られた。














(うそだろ?毎日、野糞だってしてるだろうに。)








 次に会ったのはロスとアンの二人乗り自転車(生まれて初めて見た)でオーストラ

リア一週中の二人。

ロスは右半身不随で右足が10パーセントしか動かず、右手も殆ど動かない、そして右

目は見えてないそうだ。

そのロスが前に乗り自転車を運転する。
 















もう一回言う。ロスが前だ!












 その特注の自転車のブレーキは左ハンドルにのみ取り付けられている。

ギアは普通の自転車の逆で左で後輪、殆ど使わない前輪を右手で操作している。

さすがに、ミラーはアンの右ハンドルについていた。

ロスたちとは進む方向が同じだったので何度か会って色々な話をした。

ふと気が付いたのだが、ロスの足の太さがまるで違う。

そしていつも別れる時に握手する右手には力が入っていない。






 その次は20ドルで買った自転車のフレームで世界中を走りぬけるドイツ人ピー

ター。

ピーターには自転車旅行について、色々とアドバイスやヒントをもらう。











 そして最後に!








ついに会ってしまった!




たまたまパンと水を買うために立ち寄ったロードハウスを一人の日本人がビールをもって歩いていた。


























徒歩で世界中を旅する伝説の男











































「歩き人 フミさん」


























今回はダーウィンからアデレードまでの3000キロをリアカーを押しな

がら歩いている。

僕と鯛天君はふみさんと意気投合して同じキャンプ場で一泊。

そして翌日、フミさんの後ろについて一日だけ自転車を押して歩いてみた。

早い!ついて行くので精一杯だった。

距離は一日 20キロから25キロらしい。

陽射しが強すぎるので午後になるとブッシュに隠れてテントを張る。

そんな訳で、その日は僕たちも一緒にブッシュキャンプ。

キャンプファイヤーなどして楽しんだ。

しかし、徒歩旅行者とは恐れいった。

色々な事で驚きの連続だった。

たとえば水。

僕たち自転車旅行者にとって非常に貴重な水。

ところが歩きの場合大量の水を運べるので、毎回トイレに行く度に手を洗っていた。

僕たちには信じられない光景だった。

食事も豪勢にカレー等を作って食べていた。

缶詰などもありえないほど運んでいた。

 そんな訳でタウンズビルを出てここアリススプリングスまでのやく2000キロの間に

出会ったのはわずかに5組。

僕たちを除いてはおかしな連中ばかりだ!

ロスは世界中を自転車で旅している71歳のメキシコ人に最近出会ったと言っていた。

どうやら自転車旅行者も高齢化が進んでいるらしい。

僕のような介護士が、やはり自転車で旅をする必要性を感じてしまう。

余談になるが砂漠越えの間、僕は毎日同じ甚平を来着て頭に手ぬぐいを巻き、その上

にヘルメットといういでたちで走っている。

僕は日本の伝統的な文化を海外に広めるのに役立っているのだ。

これから、キングスキャニオン、エアーズロックに向かうため、いよいよアスファル

トとおさらばして、赤土に突土に突入します。

なんとか生きてここアリススプリングスに戻ってきてまたメールを送りたいとおもっ

ています。

ケアンズの男の大和魂

2004/07/02 (金)
 ケアンズに





「自転車旅行同志求む!!」





の張り紙をして約一週間がたち、最終日の待ち時間である4時15分が過ぎました。

この一週間というもの、遠巻きに僕を見る人はいても誰一人として目を合わせてくれ

る人はいなかった。

いわんや、話しかけられたことなど一度たりともなかった。

僕は早くから諦めており、一人で旅をする覚悟を決めていたのでどうということはな

い。

ただ、






「熱い大和魂を持つ日本人というのには、なかなか簡単には会えないもんだな。」





と思っただけのことだ。

僕はその日4時15分過ぎに友達のコリアンの女の子に話しかけられて、しばらく話し

ていた。

彼女が帰ってから、3日間たまった日記を書いて暇をつぶしていた。

4時30分近くだったと思う。

「自転車でシドニーから来た人ですか?」







(!!!初めて話しかけられた!!)








声のした方を向く。






(日本人男性だ!!!!オイラは奇跡を起こした!!ついに来た!最終日にして現れたのだ!文句無しの熱いおとこがオイラの張り紙に答えてくれた!)





オイラの三枚の張り紙ににはそれぞれ3つの言葉を書き込んでいた。

「身はたとえ 豪州砂漠に朽ちるとも とめどおかまし 大和魂」

「面白き 事も無き世を 面白く」

そして最後は

「この道を、、」

から始まるあまりにも有名な猪木の言葉。

 

その男(鯛天さん)はそれらの言葉が誰のものであるのかまでを知っていた。文句

のつけようの無い大和男児だ。

 出発はもう少し伸びる。ケアンズを10日に出ることになった。続報をお楽しみに!
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