チャリダーアキの自転車世界旅行 -30ページ目
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変人扱いか?

2004/06/28 (月) 

 現在、ケアンズの日本人が集まる場所に




「自転車でダ-ウィン方向に向かう人募集!!」




の広告を張り、返事を待っている状態です。

携帯電話を持たない僕は、緑色のヘルメットを持って自分の決めた場所、時間に、

座って、誰かが話し掛けてくれるのを待っています。

しかしながら、いまだに誰一人として話し掛けには来ません。

きっと変人扱いされてるんだろうな、、。



 荷物の方は、日本のみんなから様々なアドバイスをいただき、チェーン、チェーン

カッターを買い、着々と砂漠越えの準備が整ってきています。(その分荷物がおもく

なっていますが。)

あとは、厚いサポーターの入った自転車用スパッツ(100ドル)と、暗闇で光る黄色

いジャケット(70ドル)を買うべきかどうか悩んでます。

とにかく異常な物価高なので、買い物にはどうしても慎重になってしまいます。

まぁ、とにかく持ち前の強運でなんとか砂漠を越えてみたいと思っています。
 
 もう数日ケアンズでだらだらのakiでした。

お尻が痛い!

2004/06/26 (土)

 ケアンズにて一週間ほど、自転車旅行の同志を探しながら沈没させてもらう予定で

す。



それというのも、もうお尻が限界なんです。



毎日毎日自転車を漕いで来ましたが、今までに一度も体力的な限界や足の限界を感じ

たことはありません。

ただもうお尻の皮が剥けてサドルに座ってられなくて、自転車を降りることが度々あ

ります。

いちおー、自転車用のパット入りタイツは履いていますが気休め程度にしかなりませ

ん。昨日、僕はすばらしいひらめきをしました。





(そうだ、野球用のスライディングパンツだ!!)





そう思いスポーツ用品店を探しましたが、そもそも野球用品なんてどこにも置いてな

い。

ラグビー用品にそういったたぐいのものは無いらしい。

うーん、どうしたものか、、、。

まぁ、のんびり考えます。




 みなさんも自転車に乗るときはくれぐれもお尻の皮が剥けないように気をつけてく

ださい。

シャワーの時にしみてたまりません。時には大便の時に血がまざります。ろくなこと

がないようです。



 今はただ、東南アジアのようにゆっくりと流れるケアンズの時間の中に埋没して、

お尻の皮が再生するのをのんびりと待とうと思います。

さらに足止め

2004/06/10 (木)

 今日朝一番で受け取る予定のチャリンコはお昼までに延期になりました。

もう一日ブリスベンでまったりです。

なんだか進みたくてもチャリンコがないというのは、ホント苦しいっす。

明日からはバンダバーグもヌーサ(観光地)にも目もくれず、ケアンズまで突き進ん

で行こうと思ってます。

今週溜め込んだストレスを一気に吐き出して、人力ジェットエンジンで走るつもりで

います。

 ところで、ここ大都市ブリスベンは夕方になるとアジア人留学生達に占拠されてし

まった街に変わります。

なぜか決まって夕方です。

おそらくは皆さん学生なんでしょう。

僕はそんな街を横目で見ながら、一人寂しく食パンをかじりつつ、ただ時間が過ぎる

のをぼんやりと待っているだけです。

黄昏時の公園で、楽しそうにおしゃべりしている留学生を見ながら、する事もなくた

だぼんやりと日本のことなど思い出しています。

今日も昨日に続き、あまりの暇さにどうしようもなくネットカフェからメールを送っ

てしまいました。

最後に一言































「オージーは仕事がおそい!」

ブリスベンにて足止め

2004/06/09 (水)

自転車の前輪の両サイドにバックをつけるために、大都市ブリスベンに立ち寄りまし

た。

ブリスベンに到着した日は日曜で自転車屋がお休み、月曜に自転車屋に注文、

「火曜の朝に取りにこい」

とのこと。

火曜の朝に取にいってみると

「フレームが合わないので取り寄せてるから、木曜の朝に取にこい」

との事。

そんな訳で、ブリスベンで4泊するはめに。























オージーは仕事が遅い!!!
















 そういえば、一昨日、8ヶ月オーストラリアに滞在している日本人女性に会いまし

た。

おいらは常に感じつづけていたことを質問してみた

「オーストラリア人って、毎回おつりをごまかそうとしますよね?」

彼女は笑ってこう答えました








「いやいや、あれはおつりをごまかそうとしてるんじゃなくて、ホントにおつりが分からないんですよ。」
















?????何???そんな馬鹿な?














 僕はその日の朝、安宿にもう一泊するための16ドルを払いにレセプションに向か

いました。

16ドル丁度もってたけど、20ドル紙幣一枚と、1ドル硬貨を試しに出してみまし

た。

21ドル払って5ドル紙幣のおつりをくれるかどうか試してみたのです。

レセプションの姉ちゃんは受け取ったお金をレジにしまうと、









左手で、硬硬を持ったり、戻したり、持ったり


















(間違いない!いつも僕がおつりをごまかそうとしていると感じるあの動きだ!!)












最終的には5ドル紙幣が帰ってきたけど、


























間違いない!おつりの計算ができてない!





















これで今までの不可思議なことのつじつまが合った。

 ちなみに、こないだ行った田舎の自転車屋でチューブ二本と、空気入れ、それにオ

イルを買ったときに、親父は何度も何度も値段の確認をしては考え込んでいた

。そして50ドル要求してきた。














 「は ず れ」であった



















トホホ。小学生以下かよ!

出発

シドニーに到着して翌日、町で一番安い自転車を購入、翌々日早朝に出発しまし

た。

 今はブリスベンの南にあるサァーファーズパラダイスという観光地にいます。

出発してから9日間、毎日休まず走ってきましたが、どうにも右ひざの痛みがひどい

為、今日は初めての休日を取りました。

今日までトラブルの連続で、ここまでたどり着けたのが不思議な気がします。


 一昨日は、次の町まで80キロ、元の町まで50キロの地点で手持ちの最後のチュー

ブ(4本目)がパンクしてしまいました。

正直かなり精神的にまいっていて、もう諦めようとしていました。

日本に帰る言い訳を考えながら、日本の100円ショップで購入したパンク修理セット

を取り出し、雨の中パンクと格闘。随分時間がかかりましたが、何とか走れる状態に

回復させることが出来荷物を積んでいざ出発しようとしたそのとき

「何かトラブルですか?」と後ろで声が。

驚いて振り返ってみると、そこのは初老の白人男性が大量の荷物を積んだ自転車にま

たがっていました。

シドニーを出てからキャンプ場暮らしが続き、ここまで一人の日本人に会うことも無

く、しかも異常なまでの物価高(日本以上!)でぼろぼろだった僕にとって、この旅

初めての小さな喜びでした。

ノームと名乗ったそのアメリカ人はなんと61歳。

ちょうどシドニーから出発して、オーストラリア一周の旅の最中でした。
 


 61のノームに出来て僕に出来ない訳は無い!僕は諦めかけていた自分の感情を

いったんリセットして、新たな気持ちで走る事にきめました。

僕の旅はいつも限界でどうしようも無くなったときに、必ず奇跡的な出会いがあり助

けられて来たようなきがする。

今回はノームに感謝だ。

始めに

  チャリダーアキ

1973年生まれ

2000年2月  
   バスとヒッチハイクでユーラシア大陸横断。(香港~ポルトガル)
   その後、自転車でカナダを横断。(ナイアガラの滝~バンクーバー)

2002年1月 帰国

2004年5月~2005年2月
   自転車でオーストラリア一周。

2005年2月~6月
   中米自転車縦断。


2005年6月~

   南米自転車縦断中
   



  始めに

 僕の場合、旅を続けていて何が一番楽しみかと言えば
       
「人との出会い。」

 この一言に尽きます。


 もう随分長く旅をしており、その間に出会った人の数は数え切れません。メールアドレスを教えて下さった方には僕の方から近況報告のメールを送るように心がけてきました。ところが、気が付けばとんでもない人数にメールを送ることになっており大パニックに。また、新しくできた友達の中には、これまでの僕の旅の記録を全て読んでみたいとおっしゃる方も多くいますが、暇とお金が無く期待に応えられない状態でした。
 そこで、思い切ってブログを初めてみることにしました。


 このブログには、オーストラリア自転車一周を初めてから友達一括送信したメールの内容をまずのせ、それから少しずつ近況について書き込んでいこうと思います。

 また、「旅の食」と題してチャリダーの食生活も紹介していきます。

よろしく!



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